ヨコモです。
今は私が母の遠距離介護をしている立場だけれど、ふと気がつくと考えてしまうことがあります。
「私が介護される立場になったら?」って。
子どもはいない。パートナーもいない。姉妹も年齢は近いし、向こうには家族がいるので頼れない。
介護をする側にいる今だからこそ、将来“される側”になったときの現実が見えてしまうんです。
50代シングルの私が“介護される側”になる未来をどう想像しているか
よく「独身者の老後は孤独だ」と言われるけれど、もっとリアルな問題は、「異変に気づいてもらえるかどうか」だと思います。
朝起きてこない、顔色が悪い、歩き方が変——
母の異変にいち早く気づいてくれるのは、近所の人だったり、病院の先生だったり、週に一度のヘルパーさんだったりします。
一人暮らしの私には、その“異変をキャッチしてくれる人”がいないのかもしれない。
それって、正直とても怖いことです。
自分の「望む介護」を言葉にしておく大切さ
介護される側になる未来を想像して、最近私は自分の“望む介護”について考え始めました。
たとえば、延命治療はどこまでしてほしいのか。
どんな施設なら抵抗なく入れるのか。
誰に何を頼みたいのか。
そして、誰にだけは頼みたくないのか。
そういった事を、ぼんやりではなく「具体的な言葉」にしておくことが、これからの私には必要だと思っています。
エンディングノートまではまだ書いていないけれど、スマホのメモアプリに少しずつ書き溜めたり、姉妹や友人には話していたりします。
誰かに迷惑をかけたくないというより、自分の最期を自分である程度コントロールしたいんです。
お金と制度の知識も“自分を守る介護”になる
今後、介護される側になった時にどれだけ選択肢があるかは、お金と制度の知識にかかってくると実感しています。
介護保険、成年後見制度、地域包括支援センター、在宅サービス。
「母のため」に調べたこれらの制度は、すべて将来の自分にも関係してきます。
私は50代の今、「母の介護」で得た知識を、未来の自分のための予習としてストックしています。
お金がすべてじゃないけれど、少しの備えで選べる介護の質が変わる。
だからこそ、つみたてNISAを始め、未来の自分に「ごめんね」と言わない準備をしておきたい。
お金で解決できることはたくさんある
年を取って、家族が居ない独り身には。
お金で解決できることが沢山あると思っています。
買い物代行、宅配、代行送迎、医療費など。
NISAに投資している割合で、年収300万以下の世帯が最も多いという統計が、『将来の老後のための資金作り』と捉えている揺るぎない事実とヨコモは思っています。もちろんヨコモもその一人です。
「一人で死なない」ための仕組みを今からつくる
最期のことを考えるなんて、縁起でもない?
でも私は、「一人で死にたくない」から、今から考えることにしています。
見守りサービス、介護施設、定期連絡できる友人とのつながり。
完璧じゃなくても、「私が消えたとき、誰かが気づいてくれる仕組み」は、作れると思っています。
私はバツありで、子どもがいなくて、独身で。
世間的には「将来不安な人」と思われるかもしれないけれど、
誰かに頼れる強さと、頼られる誠実さを持っていたい。
介護は、いずれ“私のこと”になる。
その時、「私は一人じゃない」と思えるように、今できることをひとつずつ積み重ねています。
ヨコモでした。
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